令和4年10月1日 |
公益財団法人寿崎育英財団奨学生の皆様へ |
平成14年 熊本の評議員 本田節子先生(ノンフィクション作家)の奨学生へのメッセージです。
平成14年11月11日
「生き方は逝き方」
評議員 本田節子
日常生活の基礎に何を置くのか?と問われたら、私は迷わず「感謝」と答えたい。
「礼」と言い替えてもいい。
本来日本人は大自然への畏敬をもち、すべては命を持つものと大事にしたし、感謝しながらの日暮らしであった。さらに教育の基盤に儒教を置いた。幼いときから四書五経を素読し、それを内面的規範として持っていたのだ。それも一般的通念として存在したのだ。敗戦後の混乱期に日本はこのバックボーンを廃棄した。
こう言えば難しいことのように聞こえようが、日常的に普通に行われていたことで決して特別なことではない。例えばバスの中でお年寄りに席をゆずり、食事の前に「いただきます。」これが礼であり感謝である。
食事とは、動物や植物など生き物の命をいただくこと。手間をかけて育てて下さった方、運搬、販売、料理、太陽や雨など天然自然への感謝もある。いうなら壽崎育英財団もその循環感謝の最も公的表現の一つだと思う。私は壽崎理事長夫人と親しかった。しかし財団のことを聞いたことはない。吹聴などなさらなかったのだ。
財団設立は壽崎理事長ご一家の人格がそれを実行に移さしめたのだ。それとて楽しての基金ではない。私は壽崎理事長ご夫婦とお母様がいかにご苦労をされてこれだけの基金を用意されたかを知っている。と言ってもそれは一端のまた一端でしかないのだが。
幼いお子様方を置いて彼女は、仕入れのために大阪まで往復をした。しかも家事一切を整えるとまた家を飛び出し、とんぼ返りの繰り返しであったという。
その彼女が急逝した。亡くなられる二日前に私は病室で彼女と抱き合って泣いた。
彼女は私に言った。
「私はいま最高に幸せなの。何も思い残すことはないわ。だって私は精一杯生きてきたもの。毎日主人が来て背中をさすってくれるし、嫁たちも孫たちも手足を撫でたり、楽しい話をしてくれたり。本田さん、これ以上の幸せがあると思う。ね、だからこれでいいの。思い残すことはないし、私は最高に幸せなの」
言外に感謝が満ちていた。
その翌日寿屋倒産のニュースが全国を走った。
彼女はそれを知らないで逝った。よかった。
彼女ご一家が精魂込めて設立された財団法人壽崎育英財団である。縁あって、選ばれて奨学金を受けるあなたなのだ。決められた報告を出すことは最低限の「礼」であり、いつかは社会の役に立つ人になる。それがあなたの感謝の表現であろう。
私は今もときどき夫人と話をする。「ねえ、どう思う、どうしよう?」彼女は笑いながら言うのだ「本田さん、何言ってるのよ。あなたらしくない。もう心の中では決めてることじゃないの。確認したいだけでなんでしょ。思う通りにおやんなさいよ。あなたらしくね。」
ふくよかな笑顔である。周囲の人々に安心感を与え、存在感ある夫人であった。
彼女を思うとしみじみ、生き方は逝き方なのだと思う。
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